プータ: 2009年8月アーカイブ

 

 以前から長男が心臓が痛いだのと言っていたのですが、冗談だと思いあまり気

にしていませんでした。お盆休みの最終日に階段を下りてきた息子が息が苦し

と胸を押さえていたので、肺炎でも起こしているかもしれないから明日病院に行

くようにと話しました。

 

 妻と息子でかかりつけの病院に行くと、たいしたことことないので様子を見ましょ

うとのことだったのですが、妻はどうしても納得ができず、レントゲンをとってくださ

いとお願いして撮ってもらいました。

 

 先生がその画像を見た瞬間、右肺がつぶれていると言い出してすぐに大きな病

院へ行くようにと言われました。紹介状をもっていくと、肺に穴があいているのです

ぐに入院することになりました。病名は気胸です。すぐに肺にチュ-ブ入れてもら

い処置をしました。、本人もちょっとは楽になったみたいです。

 

 その後2~3日したら自然に閉じてしまったのですが、また一昨日肺に穴が開

てしまいました。明日が手術の予定なのですが、本人はとてもやがっていました

が先生と私達両親が説得してやっと納得してもらいました。。手術が怖いのとその

後、痛いのがいやなようです。

 

 確かに全身麻酔で手術するのはとても怖いものです。私もよくわかります。でも

手術をしない場合の再発率が70~80パーセントといわれるとさすがに親として

手術をすすめないわけには行きません。今から考えると以前にも肺か心臓か

わからないけどそのあたりが痛いと言っていたので、その時も肺から空気がもれ

ていたのでしょう。そしてすぐにふさがっていたのだと勝手に解釈しています。

 

 明日の午前中手術になります。胸腔鏡下手術で、胸に2cmほどの切開を3

ヶ所行い、ここから照明付きカメラ(胸腔鏡)と肺を持つ道具、肺を切る道

具を挿入します肺の病変部を切除して、手術後の液体や空気を外に出

すように胸腔ドレナージをして手術を終了します

 

 医者にとってはとても簡単で初歩的な手術だそうですがちょっと心配です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  お盆休みの14日に病院に行って来ました。妻の妹家族が遊びに来ていたので

すが朝早く駅へと向かいました。駅のホームにはいつもは2~3人しか人がいない

のですが、今日は10人近くの人が電車を来るのを待っていました。

 

 その中に黒人の背の高い人が一際目立っていました。田舎の駅で外国の方を

見るのはとても珍しいのです。でも帽子をかぶってとても身なりのきちんとしている

ように思えました。電車がくるのを待っている間ちらちらとその方を見ていると真っ

白なヘッドフォーンを取り出して携帯プレイヤーで音楽でも聴いている様子でし

た。その姿がまた、とても似合っていました。

 

 電車が来て指定の座席に着くとその外人さんも座席を探していました。ちょっと

迷っている様子でしたがしばらくすると席に着いたので、席が分かったのかなと思

い私もコヒーを飲みながら本を読んでいました。

 

 次の駅に着くと先ほどの外人さんの席に別の方が来て座ろうとしていました。ど

うやら外人さんが席を間違えてしまったよすです。その後外人さんはしばらく席う

ろうろとしていました。どうやら自分の席が分からないようです。

 

 今までの私なら見て見ぬふりをしていたと思うのですが、今日は何のためらいも

なくその外人さんに近づきチケットを見せてもらいました。(英語はほとんど話せま

せん)どうやら車両が違うようです。席まで案内すると英語で何かぺらぺらぺらと話

されたのですが私にはそれを理解することができませんでした。

 

 また、別の電車でも妊婦さんに席をゆずり、帰りの電車でもおばあさんが席が

わからずうろうろしていたので案内してあげることができました。

 

 実は数ヶ月前の地下鉄で優先席があいていたので座っていると、杖をついた足

の悪い女性の方が次の駅で乗ってきたのですが席をゆずることができなくて、後

でとても後悔したことが頭から離れずにいたので、今回このような行動にでること

ができたのかなと思っています。

 

 

 病院では心臓のエコー検査だけだったので10分ぐらいで終わってしまいました。

病院まで往復5時間ぐらいかかってしまうのでちょっと大変でしたがなんか気持ち

のよい一日になりました。

 

  味覚障害ですが最近治っているようです。すべてが美味しく、何食べても以前と

変わらなくなりました。味覚障害が薬をのみ続けている間ずっと続くと思って諦め

ていたのですが今は治っているのでとてもよかったと思います。

 

 ほんとうに味覚障害は辛かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

私の住みか

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 私は趣味でアマチュア無線をやっているのですが、会社でしか電波を出したこと

がありませんでした。でも先日初めて自宅のベランダに小さなアンテナを上げまし

た。無線の友人にメールをして夜中に電波をだしました。

 

 学生時代からの無線仲間で、昔話しでとても盛り上がり夜中の2時ぐらいまで話

し続けてしまいました。電波障害がとても気になり自宅ではやらないようにしてい

たのですが、少しずつ自宅で過ごす時間が長くなり、いずれ自宅から動けなくなる

ことも考えて会社にある無線機を自宅に持ってきて、小さなアンテナを上げようと

思っています。

 

 でも最近困ったことがあります。自宅の自分のいる場所がパソコン、プリンター、

無線機、本で山のようになり、妻からはこれ以上ものをもってこないでと言われ始

めています。でもひそかに1つずつ、1つずつ物が増えています。

 

 体の調子はまあまあです。ちょっと疲れぎみですが、味覚障害も以前より良くな

っているように思えます。味覚の麻痺に自分がなれたのかそれとも、症状が改善

されたのかよくわかりませんがなんとなくそれなりの味がすることが多くなったよう

気がします。

 

 1つだけわかったことは、寿司がとてもまずく感じたのは寿司全部の味がかわっ

たのではなく酢飯の味が変にかわってしまっただけでねたの味はちゃんとしてい

ることです。寿司をねたと酢飯とを別々に食べるたことがなかったので気がつきま

せんでした。

 

 体重は今、3~4キロ減ぐらいです。ズボンがゆるくなってきてしまったのでベルト

でカバーしています。普通は喜ぶのでしょうが何とかこれ以上減らないようにいっ

ぱい食べようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

悲しい時間

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 1カ月ぐらい前の私のブログ記事で、朝から晩まで機械を動かし仕事をすると書

いたのですがここ一週間体が付いていきません。頭では仕事をしなくてはと思うの

ですが、体がいうことをきいてくれません。こんなに急激に思うように動けなくなる

とは思ってもみせんでした。

 

 薬のせいなのか、根性がななくなってしまったのか私にはよくわかりませんが、

とにかく体が重く酷く疲れてしまい仕事をする気力がなくなってしまいます。日中の

仕事も休みながらなんとかやっています。体重も少しずつ減ってきています。でも

朝7時ぐらいから夕方6時ぐらいまでは会社で何かしています。

 

 私と同じ病気で闘病されているテノール歌手の本田さんが先日のブログで「いつ

の間にか、身の回りの整理もすっかりできて、自分が死んだあとに周りの人が困

らないように、といろいろと準備をして、スッキリしてきたけれど、どこか虚しい。」と

書かれていましたが私も同じような事を考えてしまうことがあります。光熱費やそ

の他いろいろと自分名義のものを妻名義に変えたり、身の回りの整理をするとき

はとても、寂しく、虚しく、悲しくなります。

 

 私はまだ綺麗に見の周りの整理はできていませんが、一週間に何度かそろそ

ろこれも捨てようかとかこの先会社はどうなってしまうのかとか考えることがありま

す。そんな時間が一番いやな時間です。でもほとんどの時間は来年の今頃も今と

同じ生活をしていると思って何も考えずに過ごしています。

 

 私と同じ病気や他の癌で闘病されている方も、誰にも話しができずにひとり悩

み、苦しみ、悲しんでいる方がいると思います。特に体の自由が効かないととても

辛いと思います。でもそんな時こそ、自分の事を一番心配してくれている人にほん

の少しでも話しをしてみてはいかがですか?きっと気持ちが楽になると思います。

 

 無理をせずその日できることをひとつひとつやっていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

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